小学校をとりまく環境に複雑な思い、フラットに受け止めて時代に合わせた判断が必要

今の小学校をとりまく環境に戸惑っています。

昔、いわゆる自分が小学生の頃と比べて、習慣やルールが変わりすぎていて、時代の流れを感じずにはいられません。

なんて窮屈(きゅうくつ)な時代なんだろう…、過保護すぎないか?、それって先生がやってくれないの?という複雑な思いの連続でした。

なかでも「小学校の送り迎え」、「お友達との遊びの約束」、「学校の宿題」がそうです。

スポンサーリンク

小学校の送り迎えのギャップ

一部のお子さんは集団登校に参加せずに親御さんが送り迎えしています。

昔は親が小学校に送り迎えするなんてありませんでした。それどころか僕の住む地域では一年を通して制服は半ズボン。雪の降る中でも太ももを真っ赤にして登校という過酷の極みでした。今の時代なら大問題になっているはずです。

一方で小学校の送り迎えする親御さんの気持ちも良く分かります。

やっぱり心配なんです。わが家は共働きなので送り迎えはできませんが、子どもの居場所だけは抑えるために、ランドセルにGPS製品を入れてあります。

AIみまもりサービス

「GPSで子どもの居場所を見守る」って、小学校の送り迎え以上に時代の流れを感じています。

お友達との遊びの約束のギャップ

放課後や休日にお友達と遊ぶことがあります。それは今も昔も変わりません。

でも「遊びの約束」の仕方が変わりました。親同士がLINEでやり取りして遊びの予定を立てています。

僕の両親は共働きでした。小学生の頃は学童がなかったので、いわゆる「鍵っ子」でした。周りの友達も鍵っ子ばかりで、学校で約束して帰宅後は勝手に遊びに出掛けるのが毎日の日課になっていました。

だから今の子ども達を見ていると自由が少なくて可哀想だと感じるのです。

でも仕方ないのかなと思う気持ちがあります。昔に比べて物騒な世の中になったのか、ネットの普及で変質者の情報を耳にする機会が増えてきたからです。

小学生を一人で出歩かせるのは危険と感じてしまう世の中なので、親としては細心の注意を払いたい。

そうなると親同士で子どもの行動を把握するというのは自然の流れなんです。昔と違ってデジタルツール(LINEとか)が進化してきてコミュニケーションが容易にとれるようになったのも後押ししているのではないでしょうか。

「今の親は過保護だ」と考える方もいますが、その気持ちも昔を知る人間として分かるんですよね。

学校の宿題のギャップ

小学校の宿題の在り方が変わりすぎていて驚きました。

子どもがやった宿題は親が丸付け(採点)します。昔は先生が全部やってくれていて、親なんて保護者面談以外はノータッチだったので違和感がなくなるまで時間がかかりました。

共働きなので平日は時間との闘いなので最初は「担任が楽してるんちゃうん?」とか悪くも考えたこともあります。

でも、この「親が採点」という行為は子どもの学力を知る良い機会なんですよね。学期末の通知簿みて驚いて「夏休みは特訓だ!」なんて慌てる必要もなくなります。子どもの学力の遅れも機敏に対処できるので、このやり方は良いなと思っています。

おかげで子どもの算数の苦手意識の種を事前に摘み取ることができました。余談になりますが算数は積み重ねなので早めの対処が大切です。わが家ではRISU算数を使って楽しく復習させています。

昔のやり方に固執するでのはなく今の時代に合わせて判断したい

今の学校のやり方に違和感だったり過保護ではないか?と感じたりします。しかし自分の体験した昔のやり方が正しかったわけでもありません。

時代が変わり生活環境も確実に変わっています。スマホなんてなかったですし、そもそもネットもありませんでした。だから昔に固執するのではなく今の時代に合わせて「何を変えたら良いのか」「何を変えないのか」を判断すべきです。

これって学校だけでなく、仕事や生活にも通じることで、日頃から目の前のことに対して偏った見方をせずに、フラットに受け止めて判断するのが円滑に物事を進めるコツです。

おしまい。

スポンサーリンク
おすすめの記事